(5月4日 徐福公園~阿須賀神社)
熊野の大滝のダイナミックさに感動した後、路線バスを乗り継いで、宿泊先のある新宮市へ
戻りました。
夕暮れまで時間もあったので、”バスの運休時に!”とってあった補助プランを催行させる
ことにしました。行き先は「徐福公園」、「阿須賀神社」、「浮島の森」です。いずれも
新宮市街地にあり、歩いて十分に回れます。先ずは、徐福公園へ
徐福という人物は、古代中国・秦の始皇帝の時代に「東の海の彼方に、不老不死の薬がある」
という言い伝えを知った始皇帝が、3千人の探索隊を日本に送り込んだそうで、このリーダー
が「徐福」というお医者さんでした。
今から二千年近く前に、大陸から日本の太平洋側へ船で、しかも3千人も連れてくるなんて
至難の業ですね。 結局、徐福さんは中国へ帰らずに3千人の人達と共に、熊野に定住する
ことにしたそうです。原住民(日本人)達に、医療や技術を伝授し、暮らしを豊かにしたそうで、
今でも、地元では”徐福さん”とリスペクトされているのだそうです。僕はこの言い伝えを、
公園の看板で読んで、奥底から熱いものがこみ上げてきました「 徐福さん、男の中の男っ!」
・・・と、後ろを振り返ると、近所の子供が遊んでいました(・_・)
新宮市駅前を歩く
小さな公園ですが、ここは徐福さんのお墓でもあります
ご紹介します、中国からはるばるやってきた医師の「徐福さん」です
7名の優秀な部下達も、北斗七星のオブジェで祀ってます
”デキる男は背中で語る”とよく言いますね
言い伝えに感銘し、手を合わせてきました
その徐福さん一行が、上陸したのは熊野川の河口近くだそうで、ここには「蓬莱山」と
いう丘があります。そしてその麓には「阿須賀神社(あすかじんじゃ)」という古い神社が
ありました。
熊野三山に隠れてひっそりとあり、ガイドブックなりを注意して見ていないと、その存在が
いまいち分らないです。 でも、行って見ると「なるほど!」と思いました。
なぜなら、蓬莱山という丘が異様に存在感を出していたからでした。
この丘はなんだかとても偉大な存在に感じます。先ほどの徐福さん話はさておき、古代の
日本人達は、ここを何かポイントに捉えていた様に思えてならないです。
って、まぁ僕の直感(インスピレーション)ですケドね
阿須賀神社(あすかじんじゃ)
どことなく清らかな雰囲気です
後ろの丘が「蓬莱山」です
この時、参拝客は自分だけ。後から、何故か?リムジンに
乗ったお偉方が参拝に来てました。お忍びかっ?!
このすぐ裏手が、徐福さん上陸記念の地だそうです
東京の飛鳥山は、この神社が由来だそうです。へぇ~
僕は想い出作りにと、ご朱印帳を持ち歩いています。今回の阿須賀神社も例の如く、
ご朱印を戴きに社務所へ行きました。すると、老婆が一人いて、「宮司が体調を崩され
ているので、既に書き記したものを貼るけど良いですか?」とのこと。
逆にこちらが申し訳ない気持ちでしたが、戴くことに。
さらにこの老婆は、「どこから来られたのですか?」と、東京であることを伝えると、
「わざわざ遠路ご苦労様です」と労われてしまい、ちょっと照れてしまいマシタ
地元民でもないのに訪れるのは、僕をはじめとした少々マニアックな奴等だけなのでしょうかね。
いろいろと歓談しているうちに、僕がここの良さを感じ取ったことを理解された様で、
しきりに感心されてしまいました(汗) ちょっと照れるなぁ、おれただの物好きなんだケド・・・
これが遠くからみた蓬莱山(翌々日、神倉山から撮影)
ちょっと熊野川沿いを歩いてみることにしました。川の水がキレイで、大きな大河でした。
眺めているだけで心地よかったです。
ただ、山肌や河川敷の方を見ると、山崩れの跡や濁流によって岸壁が削られた跡があり、
とても生々しかったです。昨年の集中豪雨による水害の報道は、今でも記憶に新しいですが、
それが半年以上経っても残っているというのは、当時の凄まじさを語っていました。
エメラルドグリーンの水を湛える熊野川
時折、こんな光景が
住宅地のすぐ後ろが、山崩れっ!!
凄まじい光景です
目に見える物は、必ずしも良い物ばかりではないですね。この集中豪雨の跡を垣間見て
自然の驚異に脅かされてしまいました。
翌日は、いよいよ熊野詣の本拠地「熊野本宮大社」へと向かいました。(つづく)